去る6月13日(金)から16日(月)に、文化部企画のサイパン旅行に参加して、米国信託統治領である北マリアナ諸島のサイパン島、テニアン島へ行ってきました。現地の労働事情と「これからのこと」について思ったことを記述してみたいと思います。

現地の労働状況

1. 観光業

これといった産業がなく、農業、漁業以外は、ほとんどの人が観光業に従事しているようである。職種は、観光バスの運転士、タクシーの運転士、観光ホテルの従業員、免税店の従業員などなど。これらの人々は、観光客がいるかぎり何とか生活していけている印象を受けました。タクシーの運転士は次のような仕組みの中にいるようです。ツアー観光客の宿泊する各ホテルから免税店(DFSギャラリア)への送迎を行なう場合、直接運賃を受取らずに送迎証明書を乗客へ手渡すだけです。乗客がDFSの受付へツアー客である証明カードと送迎証明書を渡すことにより、後からDFS側から運転士へ現金が払われます。DFS以外の観光スポットへの送迎は、乗客が直接運転士に料金を支払います。

2. 配給制

(旅行の3日目にテニアン島へ渡りました。行きは高速船で1時間、帰りはセスナ機で10分であった。高速船は、意外と揺れて、もう少し乗っていたら、気分が悪くなったかもしれません。セスナ機は、操縦に興味があったので、パイロットの操作をなるべく見ていたのですが、何をしているのかは、よくわからりませんでした。今から60数年前に、戦闘機を操って日本の若者たちがこのあたりで米国と戦っていたのだなと思うと、随分と彼我の差を感じ、平和な時代に生まれ、このように旅が出来る幸せを少しは感じたのでした。)さて、配給制ですが、これは、テニアンのローカルな小さい空港の建物(空港自体は、ある程度大きい。但し、ジェット機の離着陸は不可能。沖縄の石垣島の石垣空港に似ているかもしれない。)内で、セスナ搭乗の順番を待っているときに、現地のツアー会社で働く、現地人(チャモロ人)と結婚したという日本女性から聞いた話です。テニアン島の就業率は、2割ぐらいで、8割は失業しており、2割の人の税金で8割の人を養っている形になっているということです。それらの失業者には、配給切符(のようなもの)が支給され、約1ヶ月暮らしていける金額が米国から支給されるそうです。つまり働かなくても最低限の暮らしができるので、働かないことを選択する人々も相当数いるとのことでした。サイパンはもう少し状況は良いと思われます。ただ、昔の貧しかったときの日本の庶民のような暮らしが生きていて、隣近所、親戚、兄弟姉妹でお互いに助け合って生活しており、貧しいとも思っていないような明るい暮らしを送っているとのことでした。

3. 現地企業の資本

現地企業の資本は、日本、香港、韓国、中国が出資しています。日本のものは、旅行会社やリゾートホテル(今回宿泊したマリアナリゾート & SPAは、日系企業らしい)で、韓国、中国は、商店やスーパーを経営しているようです。また、香港は、テニアン島のダイナスティホテル & カジノが有名です。それらの企業に、フィリピン人、韓国人、中国人、日本人が働いています。ちなみに、前述の順で外国人の人口が多いとのことでした。

思ったこと

日本では、特にここ10〜20年の間に、グローバル経済化などのように、日本1国の考え方、制度ではやっていけない雰囲気になっています。そして、それが貧富の差、勝ち負けの明確化などを通じて、人々の心を蝕み、殺人や自殺などに結びついているように感じます。

また、世界に目を向けると、地域間での紛争勃発や、連続テロの発生など、行過ぎた資本主義のゆがみ、ひいては限界が露呈してきているのではないでしょうか。かつて、共産主義を採る国々が崩壊し、資本主義が勝利したように感じた時期もありましたが、限界や欠点を認識し、各国の人々がそれぞれのオリジナリティー、ナショナリティーを有しながら、それらの違いを乗り越えて、お互いに幸せな生活が出来るようにならないと、資本主義もまた、共産主義と同じように、別の体制にとって変わることもあるかもしれません。

その体制が、かつての全体主義、軍国主義などの人々の自由を束縛するようなものであってはならないし、二度の世界大戦を経験した人間の知恵もお借りして、より良い制度や体制を構築し、世界の人々が人間としての最低限の暮らしが出来るように、そして、押し付けではない、自立した生活が出来るようにして行かなければならないと思いました。

今回を持ちまして、組織部の連載を終了させていただきます。話題性のある記事を心がけましたが、如何でしたでしょうか。また機会がありましたら、掲載させていただきます。ご精読、ありがとうございました。

(組織部:H.O.)
 
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